【6月17日(火)】
あれから・・・・【鹿児島大空襲から80年】
今日,6月17日は,鹿児島大空襲から80年目の節目の日です。
鹿児島大空襲は,第二次世界大戦末期にアメリカ軍によって,鹿児島市と周辺に対して行われた都市無差別爆撃の総称です。鹿児島市に対する空襲は1945年(昭和20年)の3月から8月まで計8回行われており,合計で死者3,329人,負傷者4,633人の被害を出しました。
特に,6月17日の空襲は鹿児島市一円に対して行われ,死者2,316人,負傷者
3,500人となり,最大の被害を与えました。
では,なぜ,鹿児島県に空襲が行われたかというと,鹿児島県が本土最南端に位置しているうえ,「知覧」「万世」「串良(鹿屋)」などの特攻基地を設けられているため,地方都市の中でも鹿児島がターゲットにされたのですね。
今や,「戦後は終わった」などと言われますが,いまだに終息しない戦争の悲惨さを考える時,私たちの郷土もこんなに大きな被害を受けたということは,しっかりと後世に語り継ぐべきだと思います。
そして避難訓練をしました!
月に1回の避難訓練を実施しました。
今日は,保育園の下にある「ゴミ箱」から出火したという想定で行いました。
子どもたちは,放送や保育者の指示をよく聞いて,静かに避難できました。
避難の放送から避難終了まで,たったの3分12秒。
びっくりするほど,短時間で避難できました。
そのあとは,園庭で遊ぶクラス,保育室に戻って遊ぶクラス,それぞれでしたが,笑顔で元気に遊ぶ子どもたちを見ていて,「この子どもたちのために,いつまでも平和な世の中が続きますように」と念じずにはいられません。
★★ 大きく育て 紫原の宝 ★★